一 夜明けは苦渋に満ちている 一日の始まりは、長らく夜明け(日の出)か日没であった。現在では午前0時に一日が始まるということになっているが、これはきわめて人為的な取り決めであって、本来動物である我々の素朴な感覚から離れすぎている。古来、日本においては日の出が一日の始まりだったと考えてよかろう。朝日に向かって柏手を打つお年寄りの姿は 、そのことを雄弁に物語っていた。日の出は私たちにとって、すがすがしく爽やかな 一日の始まりなのである。 しかしその感覚は世界中で通用するわけではない。概して西アジアで日中といえば 、熱暑に悩まされるときである。かの地の人々にとってすがすがしく爽やかなのは、 星がきらめき、涼風が頬をなで、すべてのものが生き返る夜である。そこでは一日の始まりは日没なのであった。そのことは西アジア起源のキリスト教におけるクリスマスイブのことを考えてみれば分かる。それは、実はクリスマスの前夜祭などではなく 、まさに日没を迎えて、クリスマス当日すなわち25日になったことを祝う儀式なのである。 日没が爽やかなときだとすると、西アジアの人々にとって「夜明け」は、辛く苛酷 な時間の始まりを告げる忌まわしいときだと言ってよい。ヨーロッパ人が「近代の夜明け」というとき、それは希望に満ちた新時代の始まりを意味していた。しかしイスラーム世界の近代は、そのヨーロッパ列強による実質的な植民地支配に苦しむ時代であった。奇しくもイスラーム世界の「近代の夜明け」は、西アジアの人々の生活感覚にふさわしい、苦渋に満ちたものだったのである。 二 安楽の中世 「モスクでウェディングをしてみたい人は手を挙げて。」大学の学生にこう尋ねて 、手を挙げたものはかつて一人もいない。しかし、キリスト教の教会で、ということになればおそらく何十人もの学生が手を挙げるのである。多くの日本人は、キリスト 教の背後に欧米を見るが、その視線は憧れに満ちている。これに対してイスラーム世界は、遅れた、なんとなく野暮ったいものと受けとめられているようである。その証拠に、初対面の人にイスラームを専攻しています、と言って返ってくる反応といえば 、面白そうですねえ、とか難しそうですねえ、とかいうのがせいぜいで、カッコイイ だのオシャレだのステキだのという言葉は聞いたことがない。なかには「変なの~、 やめとけばー」などとはっきり言う輩もいる。 このイメージの差は、キリスト教世界とイスラーム世界の間でまさに正反対の意味 あいをもった「夜明け」の後の、近代における両世界の落差から生じている。しかし 、「夜明け」の前のイスラーム世界は、まことに心地よい、充実した時をもっていたのである。この時代を仮に中世と呼ぶことにすれば、それはイスラーム世界が、他の地域と比べて先進的で、繁栄を謳歌した時代と言えるだろう。 中世にイスラーム世界は爆発的に拡大した。東南アジアやサハラ砂漠以南のアフリカなどで平和的改宗があいついだのである。この時期イスラームの文物に接した人々にとって、イスラーム世界は輝いて見えたにちがいない。ちょうど明治期の日本人にとって、西洋=キリスト教文化圏が輝いて見えたように。イスラーム世界は憧れの的だったのである。それにしても、元来多神教徒の彼らが一神教のイスラームをそんなに簡単に受容できるものだろうか。 その謎を解くのが、スーフィズムの存在である。戒律を厳格に守ることを要求するイスラーム法学に対し、スーフィズムは人々の心の内面をより重視する。極端にいえ ば、祈る心さえあれば、戒律を完全に守らなくてもよい、という寛容さをスーフィズ ムはもちあわせていたのである。このことにより、イスラーム到来以前の土着的信仰はスーフィズムに取り込まれて生き残り、人々はこれまでの信仰を実質的に捨てるこ となく、イスラームを受け入れることができたのだと思う。たとえば13世紀のサハ ラ砂漠以南アフリカにはまずスーフィズムの信仰がイスラームの名のもとに到来し、 人々のあいだに根をおろした。イスラーム法学を厳格に守るべきだとする改革運動が 起こるのは18世紀以降のことなのである。 日本がイスラーム世界にふれたのは、ごく少ない例外をのぞけば「近代の夜明け」 以降のことであった。この時代のイスラーム世界は危機意識に満ち満ちていた。彼ら は遠くイスラームの生成期を輝ける理想とする一方、没落の原因を、自分たちに直接先行する時代である中世に求めた。この「暗黒の中世」の呪縛から逃れて、再び生成期の栄光を取り戻そう、と彼らは訴えた。それは、ヨーロッパのルネサンス期の歴史観とパラレルに理解することができよう。しかし、ヨーロッパにおける「暗黒の中世 」像が造られたものであったように、イスラーム世界の中世もけっして暗黒などでは なく、むしろ最も余裕のある繁栄期だったのである。「暗黒の中世」になぞらえて言えば、それは「安楽の中世」と呼んでよいかもしれない。 我々の抱くイスラーム・イメージが「戒律でがちがち」なのは、他からの攻撃に対 して過敏になっている感の否めない近現代イスラームのみを知っており、寛容な中世のイスラームと出会わなかったからである。そしてその中世イスラームの寛容さを支 えるのに大きな役割を果たしたのが、スーフィズムだったのである。 三 聖者か大うそつきか 中世以降のスーフィズムを考えるとき、イブン・アラビーという12~13世紀に 活躍した人物を忘れることはできない。欧米には、ひたすらこの思想家にまつわるこ とだけを議論している「イブン・アラビー学会」が存在するほどである。 一般に彼は、偉大な神秘主義哲学者として知られる。日本でも、故井筒俊彦先生がこの側面について研究し、紹介もされた。イブン・アラビーの影響力は絶大で、彼を尊敬する知識人たちは、その後現代に至るまで、彼の著書への注釈などの形で敬意を表しつつ、自らの思想を展開することに努めてきた。これらイブン・アラビーの影響を強く受けた一群の思想家を、今日私たちは「イブン・アラビー学派」もしくは「存 在一性論学派」と呼んでいる。後者は、イブン・アラビーの哲学の根幹である「この 世の存在物のすべては、唯一の根元的存在(実存と呼んでもよかろう)の顕現である 」という思想(これを「存在一性論」と呼ぶ)に由来した名称である。 この学派はイスラーム世界全域に広まっており、イブン・アラビーの影響力の大き さを感じさせるが、これまで日本に紹介されたのは17世紀イランのモッラー・サド ラーや16~17世紀東南アジアのハムザー・ファンスーリーなどほんの一握りであ る。私自身は、13世紀から今世紀初頭まで長らえた大帝国、オスマン朝期のイブン ・アラビー学派に注目し、今後研究を進めていきたいと考えている。この帝国は中世 スンナ派においておそらく最も権勢を誇った王朝であるが、遅くとも16世紀以来、 この王朝においてイブン・アラビーの教説は公認教義となっていたといわれる。官僚や学者を養成した高等教育機関ではその思想が講じられ、研究されたのである。 イブン・アラビーはしかし、ただ賞賛のみを受け続けたわけではない。独特で難解 な用語を用いて、あたりかまわぬ独創的な思想をほとばしらせ続けたこの魁偉な思想家は、その生前から、常に毀誉褒貶にさらされていた。死後においても知識人のあい だでは彼の思想をどうとらえるかについて、論争が繰り返された。ある人々は彼を最高の知恵をもった「聖者」であるとしたが、別の人々はとんでもない「大うそつき」 のインチキ野郎呼ばわりした。前者は彼を、イスラームの奥義に通じた人と認め、後者は彼を異端だと断じた。このように両極端の評価を伴いつつ、イブン・アラビーの名は、常にイスラーム思想史の中心にあったといえるだろう。 ところで、スーフィズムはしばしば「イスラーム神秘主義」と訳されてきたせいも あって、知的エリートの思想的営みとしてのみ理解されがちであった。しかしながら 、それはもっと幅広い視野の中で理解されるべきだと私は考えている。イブン・アラ ビーの後代における評価を見るときにも、次のような点に注目してみなければならな いだろう。 第一にイブン・アラビーは、知的エリートでない一般民衆にとっては「霊験あらたかな聖者」であり、その廟への参詣者は現在にいたるまで引きも切らない。それは、 知識人の一部がいくら彼を異端視してみても、どうにも変えようのない現実なのであ る。現世利益を求める一般民衆の心から発するこのような儀礼は、スーフィズムと深 くかかわっている。 第二に、イブン・アラビーをめぐる論争は、必ずしも彼の思想的営みの是非を問う ものではなかった。たとえば、14世紀のイエメンにおいて二人の法学者がその国の大法官の地位を狙って争っていた事例があげられる。その競争に勝った法学者がたま たま親イブン・アラビーの立場であったため、敗れた側はそれを機に一度に反イブン ・アラビーの考えを持つようになったという。ここでは、イブン・アラビーの神秘思想そのものが問題だったのではなく、彼の名が、立場の象徴、勢力争いの看板として機能していたのである。 このようにスーフィズムにはいくつもの顔がある。それを理解するためには、思想研究以外に、歴史学、文学、人類学などのさまざまな切り口が必要とされている。そ れらを総合的に研究しようという試みが、昨年フランスで書物の形にまとめられた。 日本でも、今年度から始まった科学研究費創成的基礎研究「現代イスラーム世界の動 態的研究(通称イスラーム地域研究)」のなかで、それが試みられようとしている。 参考文献 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書、1980年。(再録、井筒俊彦著作集 五、中央公論社、1992年) Chodkiewicz, M., "The Diffusion of Ibn 'Arabi's Doctrine," Journal of the Muhyiddin Ibn 'Arabi Society 9(1991), pp.36-57. Izutsu, T., Sufism and Taoism: A Comparative Study of Key Philosophical Concepts, Tokyo, 1983. (1st edition was published in 1966-67.) Knysh, A., "Ibn 'Arabi in the Later Islamic Tradition," Muhyiddin Ibn 'Arabi: A Commemorative Volume, Rockport MA, 1993, pp. 307-327. Popovic A. and G. Veinstein(eds.), Les Voies d'Allah: Les ordres mystiques dans le monde musulman des origines a aujourd'hui, Paris, 1996. 『創文』392号(1997年10月),18-21頁 より転載 |