「イスラーム哲学の原像」 井筒俊彦 岩波新書 それはまったくの偶然だった。東京で予備校生活を始めたばかりの五月、ふと「イスラーム哲学の原点」講演会の新聞広告が目にとまった。イスラムに興味はないが、哲学には関心があったのででかけることにした。しかし難しい話だと思っているうちに、睡眠不足のせいもあって眠りこけてしまった。おかげで、二回連続の講演会だったのだが、二回目は行かずじまいだった。 翌春はれて大学に入って生協で本を見ていると、よく似たタイトルの本がある。まあこれもご縁と買ってみた。ぼつぼつと読みすすめていくうちに、私は異様な知的興奮に包まれてしまった。そこに展開されていたのは、気宇広大な神秘主義哲学であったのだ。去年聞いたのは本の序論で、寝入ったあとの部分にこの神秘主義哲学が展開されていたのだった。 本書はイスラム神秘主義哲学を平明に説き明かした著作である。しかし著者の筆はイスラムにとどまらず、インドや中国、ヨーロッパの神秘主義思想にまで及んでいく。あらゆる神秘思想は見事なまでに相関関係をもち、統合されている。ここにあるのは、他者の思想の客観的な解説などではない。著者自身の思想であり、著者自身の生なのだ。その迫力が、まだ十代の私を圧倒したのだった。本書と出会うことで私はイスラム神秘主義にひきいれられた。 しかしそれで私のイスラム学者としての道が決まったわけではない。世界のさまざまな神秘思想に関心があったから、まだ中哲、印哲、宗教学の各学科に進むことも考えていた。偶然は重なった。私が専門課程に進学するときに、イスラム学科なるものが新設されたのである。ここまでくれば「アッラーの思し召し」と思ってイスラムを勉強しよう、と決めた。 この決断が良かったのか悪かったのかまだ分からない。私がイスラムを選んだのは偶然だった。それが実は必然だったのだと思えるためには、さらに研鑚の日々が必要なのだろう。 東洋大学報 第140号(1995年7月20日)より転載 |