------- 今年の春になって日本のメディアでもネパールの政治情勢がとりあげられることが増えました。1996年のネパール共産党(毛派)の武装蜂起以来政情が不安定になり、2002年には議会が解散され、2005年2月1日以降はギャネンドラ国王自らが内閣の首班として統治を行っていたネパール。この春になってから民主化運動が盛り上がり、10万人を超える規模にもなったデモ隊と治安部隊が激しく衝突している映像が日本のテレビのニュースでも繰り返し放送されました。4月24日には国王が議会の再開を宣言し、翌日民主化勢力側はこれを受けて路上闘争の終結を宣言、毛派との講和と新しい憲法制定へむけての準備がはじめられることになりました。現地の雰囲気はどうでしたか?

藤倉:私がネパールに到着したのは4月27日、つまり民主化闘争の終結宣言が出た2日後でした。4月初旬から19日間にわたって行われ20余名の死者が出たゼネストとデモがやっと国王の大幅譲歩というはっきりした結果を出して終結し、カトマンズはホッとした、明るい雰囲気に包まれていました。到着してすぐに国会議事堂などのあるシンハ・ダルバール(獅子宮)の門の前に行ったのですが、そこには民主化運動の先頭に立っていた人たちが集まっていて、路上に座り込んで、ほぼ4年ぶりに再開された議会に出席する議員たちに向かって、今度こそ妥協せずちゃんとした民主的な憲法を作るようにとプレッシャーをかけていました。これがそのときの写真です。


------- たしかに明るい表情をしていますね。

藤倉:議事堂のまん前の道路に、一般市民がこのように座り込むのが可能であるということ自体、その数日前までは考えられなかったことですからね。ちなみに青いシャツを着てサングラスをかけて口を開けて笑っているのはデヴェンドラ・ラージ・パンデという学者さんで、その横にいるおばあさんは東ネパールのスンサリから来たチャヤデヴィ・パラジュリという人です。チャヤデヴィさんは、ここ4年ほど、毎日休まず民主化デモに参加していた人です。民主化されるまではスンサリに帰らないと言っていましたが、議会が再開されてからは、講和が成立しネパールに再び平和が訪れるまでは帰らないと言っています。

------- ネパールがここまで国際的な注目を集めたのは、これ以前だと2001年6月のナラヤンヒティ王宮内での大量殺人事件でした。この事件の取材のために各国から急遽集まったジャーナリストたちの多くは、カトマンズに到着してはじめて、ネパールには毛沢東主義を掲げる革命勢力がいて農村部でかなりの成功をおさめているということに気づいたのでした。王宮内での殺人事件は「シェイクスピアのお芝居のようだ」とか「中世の出来事のようだ」といわれましたが、毛沢東主義運動も「いまどきなぜ?」というリアクションを喚起しました。

藤倉:アナクロニズムというのは、ネパールを形容する際によく出てくる言葉です。もちろん冷静に考えれば世界の中でいまネパールの人たちだけが中世や20世紀前半の時代を生きているはずはないわけです。ネパールの人たちも、他の国々や地域に住む人々と共通の現在を、国境を越えたプロセスによって密接に関係づけられながら生きているわけです。だからネパールに非常に強い実権を持つ王室があるということも、毛派が国土の多くの部分を実効支配しているということも、すぐれて現代的な事象として捉える必要があります。
ただ「時代からずれている感じがする」ということを、もっと肯定的にとらえることもできると思います。というのは、「いまはこういう時代である」「これが時代の趨勢である」という感覚は、「だから○○ということは(たとえそれをどれほど望んでも)いまの時代には起こりえない」という諦めにつながっていることも多いと思うのです。例えばネパールの政治的選択肢について、つい数ヶ月前までは、「アメリカ政府とインド政府はネパールにおける立憲君主制の維持を望み、王室と議会政党が和解して、一丸となって毛派と対抗するようにと言っている。いまの時代状況で、アメリカとインドの意図に違うような政治的選択は不可能である」という見方がネパールの内外で広く共有されていました。しかしこの4月の民主化運動の結果、共和制をも視野に入れた新憲法制定会議への準備が始まることになり、アメリカ政府もインド政府も少なくとも公式にはその路線を支持せざるを得なくなりました。再開したネパール議会は治安部隊に捕らえられていた毛派の活動家たちを次々と釈放し、和平のための交渉を開始しました。つまり、ネパールは「いまの時代状況ではありえない」と思われているようなことが実際に起こる、意外性と可能性に満ちた場所である、ということが言えると思うのです。またこういう言い方もできると思います - 私達は、ネパールの人々の営為に触れることを通じて、失われた過去についての知識を得るというより、私達のおかれている現在や未来についての新たな感覚と想像力を養うことができるのかもしれない。

------ またネパールに行きたくなってきました。今日はどうもありがとうございました。

(2006年5月 インタビュー・文責 T)