ともに来たれ、スーフィズム研究の道へ

【6.真理を目指す共同体】


 イスラームにとって、ウンマと呼ばれる共同体が重要なことは、すでにお話ししました。それは、ムハンマドの在世中に、彼のまわりに形成され、その後の歴史の中で拡大していきました。

 ウンマは、イスラームの統一性を象徴する理念と、イスラーム法に基づくムスリムの統治に従う領域の拡大という動態とが合わさったものとして、展開していったのでした。

 しかし、13世紀のモンゴルの侵入と、これに伴うアッバース朝カリフの殺害・カリフ位の断絶という事態は、ウンマの危機をもたらしました。人々がウンマの実在を実感しにくくなっていったことは、想像に難くありません。

 こうした状況に呼応するかのように、スーフィーたちの共同体が生まれてきます。それが、タリーカです。上に述べた「修行道」をともに踏み行う場としての「スーフィー教団」のことをさしています。修行道としてのタリーカは、ハキーカ(真理)に到達するために存在していたのですから、教団としてのタリーカは、「真理を目指す共同体」だといってよいでしょう。

 これまでに、スーフィズムは内を目指すベクトルを体現する、と説明しましたが、そのことは必ずしも、社会から離れて個人の中に沈潜するということを意味するとは限りません。内面を目指すことは、宇宙の中心への到達を企図することでもあります。

 上にも述べた「聖者」は、いつの時代にもいると考えられていますが、そのヒエラルキーの最上位に位置する人は、まさにこの宇宙の中心にいる、中軸をなすという意味で、クトゥブと呼ばれます。この言葉は、軸とか、極とかを意味します。極というのは、北極・南極の極で、この二つを結ぶ線を中心として地球は回転しているのですから、いずれにせよクトゥブの周りにこの世は回り続けるのです。このクトゥブはまた、「完全人間」と呼ばれることもあります。そして、ムハンマドこそが「完全人間」のモデルなのです。

 こう考えてみると、ムハンマド(およびその後継者)を中心として成立してきたウンマと、聖者を中心として成立するタリーカは、同じ構造を持っていることが分かります。言ってみれば、タリーカはウンマ崩壊後のウンマの再現であり、原初のウンマの後代における現前なのだと考えることができます。

 あるべきウンマの統一感を、少なくとも内面世界においては実感させてくれるタリーカは、現実にもしばしば、各王朝の国境にとらわれず、それを越えて結びついた組織を形成していました。

 
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