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【7.大ジハードと小ジハード】 近現代になってヨーロッパ列強がイスラーム世界に侵入してきたとき、ムスリムたちの先頭に立って反植民地闘争を中心となって担ったのが、教団としてのタリーカでした。彼らは、これをジハードと呼びました。イスラーム法による統治領域を維持・拡大させるために、必要な場合には武器をとって戦うことがイスラームでは認められています。日本で「聖戦」と訳されるこのジハードはしかし、実は小さなジハードに過ぎないのです。 ムハンマドは、こういう外敵よりも、自分の心の方がより御しにくいものであり、これと戦うことこそ、より大きなジハードだと言っています。スーフィズムは、この大ジハードを実践し続けてきたのだといえましょう。 ここで気をつけていただきたいのは、小ジハードが外に向かっての戦いであるのに対して、大ジハードが内に向かっての戦いであるのみならず、この二つのジハードは相似形で呼応関係にあることです。心へのジハードを説くスーフィズムと、武器をとって闘ったタリーカを、切り離して考えることはできません。 内面的な理論・思想と、外面的な行動のいずれかだけを見ていたのでは、イスラーム世界は姿を現してこないのです。理念と動態の切り結ぶ場としてのイスラーム世界理解が重要だということは、繰り返しお話ししました。 たとえば、イラン革命の立役者ホメイニーを考えてみましょう。彼は、ただ革命家・政治家であっただけではなく、中世の偉大なスーフィー哲学者、イブン・アラビーの思想の後継者でもありました。実際、ホメイニーは、イブン・アラビーの主著『叡智の台座』への注釈を著しています。それだけでなく、旧ソ連のゴルバチョフにあてた書簡のなかで、イスラーム世界の理解のためには、イブン・アラビーやイブン・スィーナー(著名なイスラーム哲学者。ヨーロッパ世界ではアヴィセンナの名で知られる)の思想の理解が不可欠だと述べています。高度な哲学思想と現実の革命とは、ホメイニー自身の中で分かちがたく結びついていたのです。 |