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【2.内的統治体】 イスラーム世界の学術語であるアラビア語に、フクーマ(統治体)という言葉があります。支配すること、司ること、統御すること、などが元の意味です。法学を現実の政治の場に適用し、執行することにより、イスラーム世界を統制していくと考える時、この言葉は「政権」を意味する概念となります。 これに対してスーフィズムでは、内的統治体(hukuma batiniya)ということを言います。我々一人一人のレベルでいえば、それは私という一個人を「内的に統御している力」を意味します。また、広く大宇宙を考えた場合には、それを精神世界において維持し続ける「内的指導力」とでもいうべきものを指すことになります。この内的統治体に対して、上にあげた「政権」は外的統治体(hukuma zahiriya)と呼ぶことができます。 外的統治体を指導するのが為政者だとすると、内的統治体を導くのは聖者です。アラビア語ではこの「為政者」をワーリー、「聖者」をワリーと呼びます。よく似ていますね。これは偶然ではありません。この二つの概念は密接なつながりを持っており、ともに「近くにいて、密接な関係を持つ」という原義を持つ動詞(ワリヤ)から派生した言葉なのです。ワーリー(為政者)の方は、国家における主従関係という密接な関係の中で、主人の側、つまり統治を行う側であることを示し、他方ワリー(聖者)は、唯一神アッラーに近しい人、神の特別な恩寵をこうむる人を指しているのです。この両者が相補い合うという図式が、イスラーム世界の根底にあります。 さてイスラームの理念において、外を目指すベクトルを体現するのが法学だとすると、内を目指すベクトルを体現しているのがスーフィズムです。それでは、スーフィズムとはいったいどんなものなのでしょうか。 |